July 28, 2010

「波紋が広がる可能性がある。」

7月26日:東京新聞(共同通信)
「新駐中国大使の丹羽宇一郎・元伊藤忠商事社長は26日、都内で、中国の国防費が2009年まで21年連続で2けたの伸びを記録したことに触れ、軍事力増強は「大国としては当然のことといえば当然のことかもしれない」と述べた。
 国防費の大幅な増加に対しては、中国脅威論の象徴として日本や米国などで警戒感が根強いだけに、民間人初の駐中国大使として今月末に着任する丹羽氏の発言は波紋を広げる可能性がある。

7月27日:産經新聞
「JR東海の山田佳臣社長は26日に名古屋市で開かれたリニア中央新幹線の建設促進を求める集会で、中国・上海のリニアモーターカーに触れ「あちらが小学生のおもちゃなら、わたくしどものリニアはiPadみたいなものだ」と発言した。
 米アップルの多機能端末「iPad」を例えに自社の技術の優位性を強調しようとした発言だが、波紋が広がる可能性もありそうだ。

もう、こうい書きぶりにはウンザリです。

人の揚げ足をとっておいて、それがあたかも社会の良識に反しているかのように導く。記事を書いている記者が自分の責任で批判するのではなく、他人に預けた格好で批判を展開する。

どこに「波紋が広がる」のか? 大新聞が大好きな「世論」が発言を批判している、とおっしゃりたいんでしょうね。しかし、彼らのいう「世論」って、どこに実体があるの? 

「ほらほら、こんなこと言ってるよ。おかしいよね?ね?問題だよね?そう思うでしょ?ほら、こんな発言した人は糾弾されるべきだよね?ね? ほーら、みんなこの発言は問題だって言ってるよー。」って言ってる感じ。で、彼らのいう世論とはこんな幼稚な誘導に「そうだ、問題だ。」と反応する市民の集合体ってことなのかもしれないけど、そんなもの、実在しないよ。

百歩譲って、発言の内容が本当に問題で、大きな問題を起こす可能性のあるものなら、「波紋が広がる」と書いても許されるでしょう。たとえば、時の総理大臣が日米安保は見直すべきだと発言したとか、元与党幹事長が官房機密費は政治評論家の買収に使ったと発言したとか、ならね。

でも、丹羽氏、山田氏の発言は青筋立てて非難すべきことか? ひとつの見方であり、一片の真理を含むものではないか? 

この発言の記事を書くなら、「波紋が広がる可能性がある。」ではなくて、「問題であると考えられる。」と、記者の署名入りで書けよ。揚げ足取りの話をあたかも「世論」が糾弾しているかのように書くようなことをやっておきながら、ネットの世界は匿名で危険で信用ならないとか言う。どっちが卑怯なのか、よく考えてほしいよ。

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